夫婦って長く一緒にいることに慣れ過ぎると色々なことが「当たり前」になってしまいます。
けれど、「当たり前」が増えすぎると、夫婦間にとってよくないのではと思いました。
「当たり前」という名の毒
少し前の話ですが、妻が先に家に帰っていたのに食事の準備を全くしていませんでした。
我が家には「早く帰ったほうが食事を作る」「食事を作らなかったほうが皿を洗う」という明文化されてないルールがあります。このルールは「そうしよう」とお互いが話し合って決めたのではなく、気付いたらそこにあったものです。もちろん私が早く帰った時は、私が料理を作ります。
そのため、先に帰っていたのに夕食の準備を全くしていなかった妻に対して、内心「お米くらい炊いておいてくれていいのに」と責める気持ちが出てきました。
「早く帰ったほうが食事を作る」というルールはお互いが話し合って決めたわけではなく、なんとなく決まったものです。だからそれをしなかったことで妻が私に責められる謂れはないんです。
けれど私は内心一人で不機嫌になっていました。つまり私は知らず知らずのうちに「先に帰ったほうが料理を作るのは当たり前」という奇妙な価値観に縛られていたんですね。そしてその「当たり前」を無意識のうちに妻に求めていることに気付きました。
当たり前は相手に求めると「毒」にしかならない
「当たり前」という価値観はとても曲者です。
例えば夫から「専業主婦なら家事をして当たり前じゃん」って言われたらどう思いますか?
例え自分でそう思っていてもやはり他人から言われたら腹が立つと思います。「そんなことわかってるわい!」ってなもんです。
自分自身で「自分の当たり前」を設定するのは一向に構わないのですが、それを相手に押し付けた瞬間、その当たり前は相手を攻撃する「毒」に変わるんですよね。
「当たり前」が夫婦関係を壊す
誰しもがも自分の中に様々な「当たり前」があります。常識と言いかえてもいいかもしれません。
例えば、
- 専業主婦(夫)だから家事をして「当たり前」
- 夫はお金を稼ぐのが「当たり前」
- 結婚したら子供を作って「当たり前」
- 先に帰ったほうが料理を作るのは「当たり前」
- 料理を作らなかったほうが皿を洗うのは「当たり前」
夫婦って基本長く一緒にいるものですよね。でも長く一緒にいるからこそ、夫婦間で色々な「当たり前」が存在しています。
けれど、この当たり前が家庭内に多くあると、「感謝」がどんどん減っていきます。
だってしてもらって「当たり前」のことに感謝しますか?しないですよね。だって当たり前なんですもん。それどころかその「当たり前」のことをしない相手を「非難する」気持ちさえ出てきます。さっきの私のようにね。
当たり前が増えれば増えるほど「感謝」が減り、相手を「非難する」気持ちが増える。
これってよくないですよね。
「当たり前」を減らせば夫婦仲はよくなる
良好な夫婦関係を長く続けるには、相手に求める「当たり前」をいかに減らせるかにかかっています。
夫婦間における最大の敵が「やってもらって当たり前」です。
当たり前を辞書で調べてみると次のような結果が出ました。
そうあるべきこと。そうすべきこと。また、そのさま。
普通のこと。ありふれていること。また、そのさま。並み。ありきたり。出典:デジタル大辞泉
ほうほう。「当たり前」はそうすべきこと。普通のこと。ありふれていることですって。
でも夫婦間のルールをはじめ、私達が普段当たり前だと思っていることって本当に当たり前なんでしょうか。
はっきりいってそれって私達が勝手にそう思ってるだけですよね。法律で決められているわけでも、宇宙の法則で決められているわけでもなし。その多くは私達が勝手にそう思い込んでいるだけです。
専業主婦が家事をするのは当たり前?
例えば専業主婦が家事をするのは当たり前だと思っている男性は多いでしょう。私もちょびっと思います。共働きならまだしも、外で働いていないんだからまあ当然っちゃ当然ですよね。
でもそのことに何の疑問も抱かず当たり前だと思い続けているとどうなるでしょうか。「家事をするのは当たり前だろ」という態度で接していると必ず反発を生みます。当然妻は家事にやりがいを見いだせず、夫婦仲はどんどん冷めていくでしょう。
常識的に見れば専業主婦が家事をするのは当たり前なのかもしれない。けれど、だからといってそれを当たり前だと思い続けていいことなんて一つもないんですよね。
というか家に帰ったらご飯が用意して有る。こんな有り難いことを「当たり前」だと思ったらほんとバチが当たりますよ。どう考えだって「当たり前」ではない。
当たり前を減らす唯一の方法
当たり前の対義語って「ありがとう」なんですって。
ありがとうは漢字で書くと「有難う」と書きます。「有る」のが「難しい」。つまり「奇跡」とか「普通じゃないこと」の意味です。
「当たり前」と「ありがとう」は真っ向から対立する概念です。反対の概念ですから、「当たり前」と「ありがとう」は共存できません。水と油の関係です。
ということはですよ。夫婦間における最大の敵「当たり前」を減らしたいのなら、その反対の概念である「ありがとう」を増やせばいいんです。これってものすごく単純な話です。
相手に「当たり前」を求めていることに気付いたら、それをありがとうに変えてみる。これって家庭円満の秘訣ではないかと思いました。
偶然にも「当たり前」も「ありがとう」も同じ5文字です(笑)。言い換えたって特に負担もないでしょう。
「いつも家事をしてくれてありがたいなぁ」
そう思うだけで色々なことが変わります。
当たり前なんて何一つない
そもそもよく考えたらこの世界に当たり前なんて何一つありません。何十億人いる男女が出会った時点で天文学的な確率ですよね。生きてることだってそう。結婚できたことだってそう。当たり前なんて一つもない。そう考えると妻が家事をすることだって天文学的な確率です(笑)
「当たり前」を多く抱えている人は、それが当たり前じゃないってことを一度真剣に考えてみるべきです。常識を疑ってみるべきです。
当たり前をありがとうに変えるだけで、夫婦仲ってどんどん改善されていきますよ。
「自分ばっかり」って思っていませんか?
そうは言っても中々感謝できないことってありますよね。例えば「旦那が家事や子育てにまったく協力的じゃない!私ばっかりやってる」みたいな不満を抱えている人はかなり多いでしょう。
「私ばっかり」
こんな思いを抱えながら相手に「感謝」するなんてまあ難しいと思います。
ただこの「私ばっかり」という思いは少し差し引いて考えたほうがよさそうです。
とあるアメリカの心理学者の実験によると、人は「してもらったことより」も「人にしてあげたこと」を35倍も多く覚えているそうです。
35倍!!
「私ばっかりやってる」と思っている人は、一度「相手からしてもらったこと」を真剣に思い出す作業をしてみるのはいかがでしょう。あなたが気づかないだけで、意外とパートナーは色々なことをしてくれているかもしれません。
私もこの話を聞いてから、妻にしてもらったことを思い出してみたんです。するとほんとたくさんのことをしてくれてるなぁと改めて感謝しました。私が気づいてないだけで妻からは本当に多くのモノを頂いていたなと。人にした親切は忘れるくらいでちょうどいいんでしょうね。
夫婦間こそ「見返り」が必要
「愛」とは見返りを求めない。
そんな綺麗な言葉がありますが、私はこの言葉は夫婦間では成立しないと思っています。いや、夫婦間だからこそ成立しないというべきか。
夫婦間にこそ「見返り」が必要です。断言しますが見返りがない夫婦関係はいつか破綻します。
長くつきあいがある関係だからこそ良い意味でのギブアンドテイクが必要なんです。
一方的に与え続ける関係ってバランス悪いですよね。健全ではありません。「なんで私ばっかり」そんな不満がドンドンたまっていきます。
最大の見返りは「ありがとう」という言葉
私は夫婦間における最高の見返りは「ありがとう」という言葉だと思います。どんな些細な事であれそのことを「当たり前」と思わず「ありがとう」と言う。これ以外に夫婦仲をよくする方法ってないんじゃないのとすら思います。
愛してるって言葉はたくさんいうと新鮮味がなくなって効果が薄れるなんていいますよね(笑)
けれど「ありがとう」という言葉は何度聞いても飽きないし、何度言っても効果が薄れることはありません。
我が家は夫婦二人共「ありがとう」が口癖になっています。どんな小さなことでも些細な事でも「ありがとう」っていいます。そのせいか出会って5年以上たちますが、ものすごく仲がいいです。ほとんど喧嘩もありません。
「ありがとう」という言葉は夫婦仲を円滑にする魔法のような言葉です。
普段「当たり前」だと思っていることを、「ありがとう」や「ありがたい」に変えてみると思わぬ発見があるかもしれませんよ。